江戸時代に商業の町として栄えた城下町

松阪の魅力を芸術の力で再発見しながら楽しむ。

このたび、昨年に引き続き松阪の魅力を芸術の力で再発見しながら楽しんでいただくイベント「松阪カルチャ―ストリート」を開催することになりました。
戦国武将・蒲生氏郷が開府して以来、松阪は商いや学問を軸に文化芸術が花開きました。近世の長谷川治郎兵衛、小津清左衛門、三井高利、本居宣長、曾我蕭白から近代の原田二郎、宇田荻邨、小津安二郎らに至るまで、この地は商人や文人墨客を輩出し、さらに松阪の魅力に惹かれて人が集まる活気ある街の歴史があります。
そのような松阪ゆかりの豪商旧宅や武家屋敷、日本最初の厄除け観音として有名な継松寺、さらに今年は新しく開館したミュージアムをはじめ市内のカフェやギャラリー、商店街などさまざまな場所にて作品を展示します。地元ゆかりの作家だけでなく、県外の作家にも参加を呼びかけた本イベントを通じて、芸術の魅力と松阪の魅力とを同時に感じていただければ幸いです。

今回のテーマ~変わるもの、変わらないもの~。
新型コロナウイルスが世界を相手に牙を剥き始めてはや二年。今まで当然のように便利な世の中を享受していた私たち。モノが簡単に手に入る毎日が決して普通ではなく、「ありがたみ」を忘れていた私たちが試される時がやってきたのです。
豊富なモノに囲まれ、便利な世の中でありながら、心にストレスを感じる日々。便利イコール精神的豊かさではないことに気づき、真の豊かさとは何かを、考え直す時期に来たのかもしれません。
分単位で時間を刻み、1日が忙しなく過ぎる世界を作った私たちが、変わらない季節の移ろいや、自然の美しさに目を向ける大切さに気付かされ、生き方までも考え直す時がやってきたのでしょう。

当事業所画廊の使命として、日本美術にもゆかりのある街で、モノへのこだわりを失いつつある現代において、見た人それぞれの感性で「心を豊かに、人生に潤いをもたらす作品」に出会えるお手伝いができればと思っております。地方にこそアートが必要なこと。さらには過去現代未来と日本美術を全国に発信リードする松阪を目指して、地元松阪でのアートの企画、地元以外での展示機会を作りフィードバックしたいと考えています。
最後になりましたが、昨年のご好評を受け、さらにより興味深く親しみやすいアート作品の展示に努めてまいりたいと思います。また今回ぜひご来場いただき皆様のお手元に作品を持っていただけましたら幸甚です。
街の文化向上、作家支援に温かいご支援、ご理解のほどよろしくお願いいたします。

有限会社松本紙店
ギャラリーMOS
代表 松本 恵介

先入観や固定観念を解き放つ

今回のテーマ「変わるもの、変わらないもの」とは

近年、全国で数々の芸術祭が行われている。芸術がもつ「先入観や固定観念を解き放つ」力が、新鮮な眼で日常をみる機会を与えてくれている。

昨年から始まった松阪カルチャ―ストリートも、歴史的建造物や商店街を舞台に非日常の空間を味わうことができるが、他の芸術祭とは異なる点がいくつかある。そのひとつは日本画家の作品が数多く見られること、そして、一部の作品が購入できることなどである。顔料を膠で溶く日本画は高度な描画技術が必要なため画家の人口が少ないし、展示環境を手がかりに表現を模索するというよりも、伝統的な要素を継承しながら現代的感性を追求するジャンルなため、芸術祭とは親和性が低いのではないかと僕は疑っていた。しかし、これも先入観であったことは前回の展示が証明してくれた。

豪商ゆかりの町松阪で、市内の民間ギャラリーの呼びかけから始まった芸術祭であるがゆえに一部の作品購入が可能となったのであろう。芸術祭後に新たな環境で展示された作品からは、異なる物語が展開されるにちがいない。今回のテーマ「変わるもの、変わらないもの」にあわせて、変わらない良さと変わることで視界が広がるものって何だろうか、そんなことを考えつつ作品と対峙してみたい。

サイトウミュージアム学藝員
田中 善明

歴史につちかわれた松阪

松阪市は三重県の中部に位置し、松阪牛の生産地として知られています。17世紀以降、日本を代表する商人を輩出した商業の町として栄え、現在も三重県下の経済拠点の一つです。市内には、国内最古の土偶が出土した粥見井尻遺跡や西日本最大級の祭祀場を持つ天白遺跡などの縄文遺跡、国内最大の船形埴輪が出土した宝塚古墳などが点在し、原始から開けた地域であったことを物語っています。古代から中世には、都から伊勢神宮へ通じる街道が整備され、また北畠家の城が随所に築かれて、要衝の地として重要な役割を果たしました。近世には、城下町・宿場町として繁栄し、各所に残る武家屋敷や商人街の町並みから、当時の面影を偲ぶことができます。

出典:NPO法人松阪歴史文化舎 https://matsusaka-rekibun.com/

松阪商人の江戸進出と商人文化

1588年、蒲生氏郷は新たに城と城下町を築き、松阪と命名しました。メイン道路沿いには商人を住まわせ、自由に商売ができる制度を布きました。17世紀前期から、松阪商人は江戸や京都・大阪に進出しましたが、18世紀後期には江戸の日本橋界隈で松阪出身者50人が店を構えていました。彼らは、江戸では「伊勢商人」と呼ばれ、日本三大商人の一つとして名をはせます。江戸店では、伊勢地方産の様々な商品を商いましたが、その中でも縞模様の木綿はブランド商品化され、江戸っ子たちに好まれました。出店で稼いだお金は、江戸や京都・大阪の文化や情報とともに松阪にもたらされ、松阪特有の商人文化が芽生えました。

出典:NPO法人松阪歴史文化舎 https://matsusaka-rekibun.com/