松阪カルチャーストリート

松阪の魅力を芸術の力で再発見し、楽しむ。


「松阪カルチャーストリート」は2021年より豪商のまち三重県松阪市で開催している芸術祭です。本芸術祭は、皆様に松阪の魅力を芸術の力で再発見し、楽しんでいただくことを目的に開催いたします。

戦国武将・蒲生氏郷が1588年に開府して以来、松阪は商いや学問を軸に文化芸術が花開きました。近世の長谷川治郎兵衛、小津清左衛門、三井高利、本居宣長、曾我蕭白から近代の原田二郎、宇田荻邨、小津安二郎らに至るまで、この地は商人や文人墨客を輩出し、松阪の魅力に惹かれて人が集まる活気ある街の歴史があります。
そのような松阪ゆかりの豪商旧宅や武家屋敷、日本最初の厄除け観音として有名な継松寺をはじめ、市内のミュージアム、カフェやギャラリー、商店街、宿泊施設などさまざまな場所にて作品が展示されます。本芸術祭には地元ゆかりの作家のほか、広く県内外の作家が参加に応じてくださいました。松阪で暮らし、見つめ続ける作家の感性と、松阪を新鮮な角度でとらえた感性とにより、今回のテーマのように、きっと楽しい出逢いや発見があるでしょう。

芸術の世界を通した松阪の魅力の再発見とともに、私たちが目指しているのは、芸術をより身近に親しんでいただくことです。芸術は、生活に様々な刺激や潤いや生きる力を与えてくれる、なくてはならない存在ですが、「松阪カルチャーストリート」がそうした機会の一助になることを願っています。

― いにしえに想いを馳せて ―

35年の歳月をかけて日本最古の歴史書である『古事記』を研究した本居宣長や、近代の万葉学の樹立に貢献した歌人・佐佐木信綱。松阪にゆかりのある二人は、いにしえの人々の文字の奥に秘められた豊かな感性に想いを馳せ、追い求めることに生涯をかけました。

この世を離れ、直接会うことができない人々が残し、伝えてくれた様々な文化や自然。人々はそうした宝物を深く味わい、身体の一部とすることで新たな世界を創造してきました。

松阪の魅力を、芸術を通して再発見することなどを目的にした松阪カルチャーストリートは、この秋、5周年を迎えます。今回は、歴史的な文脈と現在の状況とを見つめ続ける先鋭の現代作家に加え、近世近代の物故作家の作品や歴史資料を、旧長谷川治郎兵衛家をはじめとした歴史的建造物の風格ある空間で展示することを試みます。時を超え、作品と私たちはどのようにつながることができるのでしょうか。

松阪カルチャーストリート実行委員会

藝術は作家をとりまく時代状況の中で、自身の感性と思考と技術を磨きながら生みだされてきました。20世紀以降の前衛的な表現に限らず、宗教彫刻であれ風景画であれ、見えないもの、今までにないもの、知らないものをかたちにする——言い換えれば現実にない世界を創り出すことが続けられています。何もない、無の状態から生み出される作品。しかし、そのとっかかりとなるのは身の回りを注意深く観察することであったり、歴史から考察し発見することであったりします。つまり、私たちの心を動かし記憶に残る作品は、見つける/見つめる、という深度の如何によって規定されているのかもしれません。

現代の私たちは、蓄積された歴史の中を生きています。インターネットの普及によって専門家以外からも史実についての多くの知見が集められ、検索して利用することが可能となりました。しかしながら、読みやすく加工された文字や画像の情報では得られない、感覚、気迫、オーラのようなものに対しても大切な何かを見出すことがあります。おそらく、後者を支えてくれているのが藝術の世界です。明確な答えがないけれども必要となるさまざまな見方、考え方、感じ方を提示してくれる存在——。

今回展示を引き受けてくれた作家は、いずれも歴史や現代の状況を深く観察して思考し、答えのない感覚の世界によって私たちの見え方を揺さぶる人ばかりです。歴史ある空間がどのように導かれるのか、作品どうしがどのように反応するのか、そして、作品を見る自分自身がどのように反応するのか、それら様々な変化をじっくりと味わってみてください。

サイトウミュージアム学藝員
田中 善明

歴史につちかわれた松阪

松阪市は三重県の中部に位置し、松阪牛の生産地として知られています。17世紀以降、日本を代表する商人を輩出した商業の町として栄え、現在も三重県下の経済拠点の一つです。市内には、国内最古の土偶が出土した粥見井尻遺跡や西日本最大級の祭祀場を持つ天白遺跡などの縄文遺跡、国内最大の船形埴輪が出土した宝塚古墳などが点在し、原始から開けた地域であったことを物語っています。古代から中世には、都から伊勢神宮へ通じる街道が整備され、また北畠家の城が随所に築かれて、要衝の地として重要な役割を果たしました。近世には、城下町・宿場町として繁栄し、各所に残る武家屋敷や商人街の町並みから、当時の面影を偲ぶことができます。

出典:NPO法人松阪歴史文化舎 https://matsusaka-rekibun.com/

松阪商人の江戸進出と商人文化

1588年、蒲生氏郷は新たに城と城下町を築き、松阪と命名しました。メイン道路沿いには商人を住まわせ、自由に商売ができる制度を布きました。17世紀前期から、松阪商人は江戸や京都・大阪に進出しましたが、18世紀後期には江戸の日本橋界隈で松阪出身者50人が店を構えていました。彼らは、江戸では「伊勢商人」と呼ばれ、日本三大商人の一つとして名をはせます。江戸店では、伊勢地方産の様々な商品を商いましたが、その中でも縞模様の木綿はブランド商品化され、江戸っ子たちに好まれました。出店で稼いだお金は、江戸や京都・大阪の文化や情報とともに松阪にもたらされ、松阪特有の商人文化が芽生えました。

出典:NPO法人松阪歴史文化舎 https://matsusaka-rekibun.com/